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アニマルセラピーーアニマルセラピーとペットロスー(3/4)
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「もう一度、失明したようだった」
ある盲導犬ユーザーが、パートナーの盲導犬がリタイアした後に、ぼそっと言った一言です。
事故で失明した時と同じくらいの喪失感だった事が、こちらにまで伝わってきます。
二度失明する、なんて、本来あるはずのない表現をついしてしまう。
盲導犬と歩んだ時間は、目が見えた時と遜色ない充実感があったのでしょう。
この盲導犬ユーザーは、信頼し、身を寄せる相手と颯爽と歩く「癒し」を、ある日突然、失ったのです……。
前回、アニマルセラピーの難しさをお話しましたが、もう一段回掘り下げて、ペットを飼う人すべての人に関わりある、ペットロスのお話をしていきます。
当たり前の話ですが、一部の動物を除いて、だいたいの動物の「命の時計」の針は、私たち人間よりもはるかに速く進んでしまいます。
さらに、近年の医療の発展は人間だけでなく、ペットにまで恩恵をもたらし長寿化が進んでいます。
それは人間の高齢化と同じ問題を抱える原因になっています。
高齢化での介護、高額の医療費負担。寿命が延び、一緒にいる時間が長くなったことによる、死別の際の悲しみ……。
「動物は癒しをもたらす」とした、その動物が居る事が、精神的・肉体的負担になってしまうケースや、いわゆる「ペットロス」に陥ってしまうケースも増えているのです。
これは、ある意味では仕方のない事です。受け入れるしかないのです。
海外には、こんな話があります。
「犬の寿命が十数年しかないのは、犬を作った神様の慈悲である。
もしも人間と同じような年数を生きたとしたら、人々はその素晴らしく寛大な友人の死の悲しみに耐えられないであろうから」と……。
……言えているな、と思ったのは、筆者も生粋の愛犬家だからです。
飼育頭数が多かったこともあり、今まで何匹もの犬を看取ってきましたが、一番長寿で18年。それでも、辛かったのですから。
例えば人生の半分以上(人生折り返しの40台までくらい)をその一匹と過ごしていたとしたら。
親兄弟を亡くすのと同じか、下手をすればそれ以上の悲しみに襲われたかもしれません。
癒し効果が大きい分、失った時の喪失感も大きくなるのは当然ですよね。
しかも、第一回目でもお話したように、一匹の動物は、時に色々な役割を同時にこなしている場合もあるんですから
こうなると、もう、人生の一部が欠けてしまったように感じる方だっているでしょう。
ペットを失った時、なかなか立ち直る事が出来ない事もあるでしょう。
「別れが悲しいから動物は二度と飼わない」などという人は、その悲しみがまだ癒えていないのです。
それでも。
時間は後には戻りませんから、前へ進むしかありません。
これが、アニマルセラピーや、動物による癒し、の最終局面です。
動物との別れには罪悪感がつきまとい、ともすれば「悲しむこと」も「癒されること」も重罪のように思えて
楽になるとか、ましてや新しい動物を迎え入れるなんてとんでもない、と思う事もあるかもしれません。
自分の悲しみを受け止め、表現し、歩き出す力を得る。そして、乗りこえていく。
そんな風に、自分で自分を「癒す」方向へと向けていく勇気と力をつけること……。
……そう。「幸せになる」って、実は、けっこう勇気がいる事なんですよ、ね。
動物、つまり「命」に癒してもらうという事は、すなわち、必ずや別れが来るという事。
動物による癒しとペットロスは表裏一体の出来事です。
いざその悲しみに直面し、あなたの心が傷ついて、ボロボロで、もうどうしようもなくなっていても
それでも歩みを止めてしまわずに、自分のペースで前に進めたのなら。
きっとそれは、動物からの「心の中にこの先永遠に残る灯火」
そんな、癒しの財産なのです。
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